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金子哲雄が病気を隠していた理由と残された妻の想い

2010年には「ホンマでっか!?TV」などレギュラー番組を4本を持つほどブレイクするものの、41歳でこの世を去った流通ジャーナリスト・金子哲雄さんの死の裏側について、残された妻が告白したこととは?

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金子哲雄の病気と向き合う人生

2012年に41歳という若さでこの世を去った金子哲雄さんだけど、当時はまさかの訃報に衝撃だった。 画像 → 画像

金子哲雄さんはなんで亡くなったパラ?

肺カルチノイドという病気に侵されてしまったの。

金子哲雄を支えた奥さん・金子稚子の存在

金子哲雄さんを支えた妻の金子稚子さんは、1967年静岡県清水市に誕生したわ。静岡女子短期大学を卒業して、学校を卒業後、雑誌や書籍の編集者や広告制作のディレクターを務めて活躍したわ。ライフ・ターミナル・ネットワークの代表・一般社団法人日本医療コーディネーター協会の顧問もしているの。

稚子さんは夫の金子哲雄さんが亡くなったことを受けて、「終活」や「エンディングノート」に違和感を感じたそうだ。「これらには大切な事が抜けているのでは?」と。そして亡くなる人から引き継がれることは、遺された人たちの悲しみを軽くし、そして心の支えにもなるとして著書を書いているぞ。

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肺カルチノイド

ところで~・・・、肺カルチノイドってなんなの?怖い病気なの?

肺カルチノイドは以下に挙げられるわ。

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肺カルチノイド

症状としては肺がんと似たようなものです。肺の悪性腫瘍の中の1%ほどの確率、10万人に1人という珍しい病気です。肺癌の中でも比較的稀な低悪性度の腫瘍として扱われています。

臨床的に進行が遅い傾向がありますが、局所浸潤やリンパ節転移、血行性転移を起こすことがあるため悪性腫瘍に分類されています。

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金子哲雄さんは、顔のむくみと喘息に似た咳に悩まされ病院にいった。そして、「単刀直入に言うと、末期の肺がんです。」という言葉を聞かされた。精密検査の結果「肺カルチノイド」という病気であることが判明。治療法がないとされるタイプのカルチノイドだった。

2011年に肺がんの一種である、末期の肺カルチノイドを宣告された金子哲雄さんは、この時に病気の公表はしなかったわ。知っているのは妻である稚子さんを始めとした親族と、事務所関係者、そして医者であるおおたわ史絵さんなどごく一部の人にしか知らせてなかったの。

2012年に入ったころから急激に痩せたことを受けて視聴者は驚いたんや。ぽっちゃりしていた体型から、13kgほど痩せた言うてるさかい驚いたで。その時も「睡眠時無呼吸症候群改善のために食事療法をして痩せた」と言って病気をダイエットに置き換え隠していたんや。

仕事で共に活動していた医師のおおわた史絵さんは金子哲雄さんからいろいろと話しを伺っていたいたみたい。「そろそろ人生のカウントダウンをしているように感じます。今やってることを一生懸命やって、立派な千秋楽を迎えたいと思います」とメールが届いたと言うわ。

金子哲雄が病気を内緒にしていたワケとは?

金子哲雄さんはなんで病気のことを隠していたパラ?

「治る病気だったら、公表して闘病して「治って元気に戻ってきます」っていうふうに言ったと思う。彼は治らないことがきっと分かっていたと思う。だから公表しなかった。病気だっていうふうに知られたくない。「僕は仕事をしたい」。多分、彼なりのプライドがあって、病気だって同情されたり、不必要に心配されたりするのが、すごく嫌だったと思う」とおおわた史絵さんは語っているの。金子哲雄さんは最後まで仕事がしたかったから本人の意向を尊重して、妻や身内の人たちも内緒にしていたと思うわ。

葬式の準備を金子哲雄自身で進める

金子哲雄さんは自身のお葬式の準備や入るお墓の手配までしていたの。最近では生きている内に残された人の負担を減らそうと自分で“死の準備”を始める人が増えているみたい。

そして生前の金子哲雄さんを支えてきた、妻の稚子さんは、夫がこの世を去った後、しなくてはならないことが事前に決まっていて、稚子さんは通夜から四十九日まで「代行」を務め、遺作である本の出版作業の引継ぎや、亡くなった後に「直ちに引っ越せ」という、「指令」が出されていて、賃貸マンションに引っ越したそうよ。

最後に稚子さんの作ったおでんを食べたいと金子哲雄さんが言ったそうだ。急遽おでんを作った稚子さんは、まだダシが染みてないおでんに対して金子哲雄さんは「これがあると安心だね。食べたいときにいつでも食べれるから」と言い、「明日になればもっと味が染みておいしくなるね」と稚子さんも返している。そんな金子哲雄さんは実は葬式で手紙を渡すように事前に動いていたぞ。

このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。

もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。

このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。

この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。 最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。 急ぎ、書面にて御礼まで。

平成24年10月1日流通ジャーナリスト 金子哲雄

妻の想い

2011年6月、夫の金子さんは死の病を宣告され、金子哲雄さんは、2012年10月に自宅で亡くなる当日まで仕事を続けるという道を選んだ。「死んだらどうなるのかな」と稚子さんに何度も投げかけた。稚子さんは黙って金子哲雄さんの背中をさするしかなかった。

夫が「死にたくない」と言ったら、多くの妻は「そんなこと言わないで」とうろたえるかもしれない。「もっと頑張って」とはげましてしまうかもしれない。でも奥さんは、「それは、大切な人との間に決定的な線を引いてしまうこと。あなたと私は違うと縁を切ってしまうことなんです。」と話している。

稚子さんは、一度だけ病気がわかった直後に「死なないで」という言葉を言ったみたい。金子哲雄さんは手を握り「当たり前だ、必ず稚ちゃんを守るよ」と言ってくれたそうよ。ただそれ以降、稚子さんは「二度と言うまい」と誓ったの。病気と闘うのは金子哲雄さんなのに、自分の悲しみを投げつけてしまったと後悔した時もあったわ。そして、「死は終わりではない」・「夫はいつも私のそばにいる」と感じることで、立ち上がる事ができたの。

「死ぬことは生きることと同義」と伝えるという思いで、終末期にある患者や患者家族の支援「ライフ・ターミナル・ネットワーク」を始めたパラ。