エンタメ茶の間 Top  ダイエット&健康 Top  トリビア Top アクアリウム Top 3DCG工房 Top



紅白歌手 克美しげる、ストーカー殺人事件の真相がヤバイ!

シェアする

2000年11月24日に定められたストーカー規制法は、1999年に起きた「桶川ストーカー殺人事件」がきっかけで定められた法律です。ストーカー行為の相談件数は年々増えていく一方で、その中でも検挙に至るのは数件のみにとどまっています。

スポンサードリンク

克美しげるのストーカー事件簿

ストーカー被害者の紅白出場歌手K、芸能界でも成功していた克美しげるさんにいったい何があったんだ?

克美しげるさんと事件の犯人とされている岡田裕子の間にはストーカーの問題があったの。克美しげる(かつみしげる)さんは1937年12月25日に宮崎県で誕生したわ。当時の日本は戦時中だったから、克美しげるさんも苦労して生活していたんだけど、小学生で第二次世界大戦が開戦して宮崎県は火薬など軍需品にかかわる工場を中心に米軍の空襲を受けたわ。

そんな恐ろしい世界を生き抜いた克美しげるさんは、高校生になると戦争がようやく終わって日本の再生が始まって、彼は音楽家でもあるんだけど、ジャズに惹き込まれて同級生と音楽バンドを結成して音楽の道に進んでいったの。高校卒業後は大阪で人気があったバンド「マウンテン・ボーイズ」にバンドボーイとして採用されたんだけど、この下積みの修業を経て、1960年にNHK大阪の歌番組オーディションで優勝を果たして芸能事務所にスカウトされて本格的に歌手としてデビューすることになったわ。

音楽が好きな人物だったパラ。芸能界に入ってからはどうなったパラ?

東京に進出してからは、「霧の中のジョニー」という楽曲を生み出して40万枚以上を売り上げるヒットを記録しているわ。このほかにもアニメ「エイトマン」の主題歌や紅白出場も1965年~1966年の2年連続で起用されたの。多くの人から認められた歌手だったの。時代劇「人形佐七捕物帳」に俳優としてレギュラー出演も果たしているわ。

芸能界で大活躍した人なんだ。

でもしだいに人気が低迷していって人生の歯車が狂いだしていったわ。芸能活動が上手くいかない苛立ちから、ギャンブルや外で飲み歩く毎日が続いたそうよ。そんな中、克美しげるさんには妻子がいたんだけど、ホステスの岡田裕子という人に出会ってしまい愛人ができて経済的な援助を受けて暮らしていたわ。

そんな生活を続けていた克美しげるさんに突然再デビューの話が入ってきて、人気が再熱してきたんだけど、ホステスで愛人である岡田裕子が邪魔になると思い、1976年5月に殺害。自分勝手で最低よね。車のトランクに岡田裕子の遺体を隠して、仕事で北海道に行くため、車は羽田空港に置き去りにしてたようなんだけど、すぐにバレてしまい懲役10年の実刑に。殺害後に・・・空港に車ごと置いておくって・・・。まったく理解できない行動ね。

なんていう自分勝手!知ってか知らずか知らないけど妻子がいるにも関わらず関係を持っていた愛人の人も悪いが、克美しげるさんはありえないぞ!

岡田裕子は妻子がいることを知っていたらしいの。でも、克美しげるさんに「妻とは離婚した」「借金返済ができたら結婚しよう」と嘘を付いて近づいてきて、その言葉を信じた岡田裕子と関係を持つようになったようね。克美しげるさんは多額の借金を抱えていたんだけど、愛人の家で過ごしたり借金も肩代わりさせていたわ。

でも岡田裕子はいつか一緒になれると信じていたの。その思いをもてあそぶかのように克美しげるさんは愛人から貰ったお金を当時の奥さんに生活費として渡していたわ。ちなみに、デビューする前に知り合っていた女性と結婚するもその後、すぐに離婚して、デビューしてすぐに2度目の結婚をしたから、合わせて4度の結婚をしているの。女性問題に懲りない男。

・・・・・・・パラ。

そんな時に舞い込んできた芸能界の話じゃない。「一緒になれることを信じていた愛人」「芸能界の復帰」・・・彼は芸能界を選んだわ。これまで数千万円を貢いできた岡田裕子は別れ話に応じることはできなかったんだけど当然よね。納得できるわけないわ。

岡田裕子は克美しげるさんが北海道に曲のキャンペーンに行くことを調べて「一緒についていく、絶対に別れない」とストーカーに・・・。芸能界で生きていく決断をした克美しげるさんは、スキャンダルの種を消したかったようね。5月8日に空港の警備員が車から異臭がすると警察に通報して事件が発覚したの。

その事件な、ワイも知ってるで。逮捕された克美しげるは裁判で「結婚しているのに岡田裕子にストーカーされた」と主張したんや。とんだ“ゲス”やで。克美しげるに利用されたあげく結婚をせまったストーカーの犯人とされた岡田裕子はほんまに気の毒やわ。判決は懲役10年の軽いもんやった。この事件で妻とは離婚しておるで。

当然やな。1983年10月に仮出所、その後は音楽事務所を設立して仕事の関係で知り合った女性と3度目の再婚するも、覚せい剤取締法違反で逮捕になり、3度目の離婚をしたんや。そしてまた出てきおった。出所後は音楽事務所を続けて1996年、31歳年下の妻と4度目の結婚や。

その後は心臓病・脳梗塞・顔面麻痺などの疾病に相次いで襲われ、2013年10月2日に脳出血で死去したようだ。75歳の生涯だった。まさか被害者じゃなくて加害者だったとは・・・。元々は懲役15年の求刑を言い渡されていたようなんだが、克美しげるさんを支援する芸能人の仲間らによって減刑嘆願の署名運動が認められて求刑10年に減刑されようだ。身内も騙していたということになる。ただ、克美しげるさんの周囲を見てみると、外面はよかったようだ。