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東大 山崎晃嗣、光クラブ事件の真相がヤバイ!

東大には黒歴史が多々眠っており、東大史上最も天才と言われた男の大事件があります。金と女、欲望渦巻く光クラブミステリーとはいったいどうような事件だったのでしょうか?

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東大生 山崎晃嗣という完璧主義者

今からおよそ70年前にさかのぼる・・・。東京大学の学生が起こした『光クラブ事件』というものがあったんだ。

『光クラブ事件』ってなにパラ?

”事件”やからええことじゃないのは確かやな。どんな事件か知りとーなってきたわー。

1948年の9月のこと、東大生だった山崎晃嗣って人がいるの。 画像 山崎晃嗣は1922年千葉県木更津で5人兄弟の末っ子として誕生したけど、父親は医師で木更津市長も務めたこともあるらしいわ。母は音楽家、そして兄3人は後に医師になっているすごい家族なの。

山崎晃嗣は1日に15~16時間という猛勉強の末に、東大法学部に進学することができたわ。時代は戦時・・・、戦争中は学徒兵として軍隊に入り、幹部候補生を経て、陸軍主計少尉に任命されたの。

でも事件が発生した。配属された北海道・旭川の北部第一七八部隊で隊長らが軍事物資を横流しているのを検挙されたんだ。山崎晃嗣はそれをかばう形で懲役1年半執行猶予3年の実刑判決を受けてしまった。当時上官をかばって口を割らず、罪を一人でかぶって服役した山崎晃嗣だったが、出所後の山崎晃嗣に上官だった人たちは背中を向けて、盗んだ食料の分け前も与えなかった。

彼の人生の中で、信用・・・義理・・・そして人情という言葉が消えて人間不信に・・。その後、東大に復学して、全部の科目で「優」を取ることを課題にしていたけど、20科目の内17科目で「優」、あとの3科目は「良」で収まったの。全科目で「優」を取ることができなかったことにショックを受けた山崎晃嗣は「教授の嗜好や気まぐれで評価される優・良・可の区分に全生活をかけるのが”馬鹿らしくなった”」と語っているわ。

分刻みのスケジュールを全て記録したり、全てにおいて優の成績を収めようとする辺り、山崎晃嗣は完璧主義だった。

山崎晃嗣が裏の顔に染まる光クラブ事件

金融会社で業界通だった友人の日本医科大生・三木仙也と共に賃金業を中野区鍋屋横町に設立したの。この会社は闇金融で『光クラブ』という名前にしたわ。

社長は山崎晃嗣で医科大生の三木仙也が専務をしていた。

せやかてまだ学生やん。会社作るにはぎょーさん金がかかるで!設立資金はなんぼなん?

光クラブの設立資金は1万5千円よ。

ぬぉー!!そのくらいで会社が作れるパラー!!?びっくりパラー!!

でも1948年当時のソバ代が1杯15円くらいなの。設立資金は少額から始まったけど、そこから会社を維持していくためにお金を集めないといけないわ。

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光クラブは周囲の目を引く画期的な広告で資金集めをしていったぞ。資金は月に1割3分の高配当で集めていた。

投資した金が倍倍倍で返ってくる思って、貸す人がわんさか現れたんやな。

集めた資金は利子2割1分から3割という高利で中小企業やお店に貸付ていたの。高金利でありえない闇金融を経営し続けた東大生は起業してからわずか4ヶ月で資本金を400万円ー600万円に膨らませ、株主を400人集め、従業員も30人いる会社に成長させていたわ。当時にすると1億円は軽く超えているわね。

そして中野から東京の高級街でも知られる銀座に拠点を移した。

悪いことをして成功した会社パラ。いつ転落してもおかしくないパラ。

銀座に移転した後も、3ヶ月後に月商5000万円を稼ぐ急成長を続けていた・・・。

・・・パラ。

光クラブは乗り乗って、教訓なんていうのも作っていたの。

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光クラブ「ヒカリ戦陣訓」

一、権利のための闘争だ
二、人生はすべてこれ劇場なり
三、金利の鬼となれ
四、バクチには生命を賭けよ
五、ヒトのものはわがもの 自分のものは自分のものと思え

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光クラブの転落

イケイケドンドンやな。しかしやな、お天道様は見てるで。闇金融で一気に急上昇した会社や!そろそろ一気に急下降やで。

ビンゴ!その通り。悪いことは続かないものだ。会社は順調に成長していったと思われていたが、当時の法定利息は月9分だったから月1割3分という高配当の光クラブに警察は目を光らせていたぞ。そして1949年7月4日に物価統制令違反容疑で山崎晃嗣は逮捕された。

逮捕された山崎晃嗣だけど不起訴になって釈放されたの。でも社長が逮捕されたからその会社は信用を失うことになったわ。次第に業績が悪化していくことになるの。

投資家たちが怒ってそうパラ・・・。

もちろんだ。甘い言葉に騙されて闇金融に投資していたわけだから。投資家たちは我先に返済を迫ったぞ。そして山崎晃嗣は9月に債権者会議を開くことを決意した。その結果、借入総額3600万円の一割である360万円を11月25日に返済することを約束したんだ。

70年前の借入総額3600万円っていったら、今の7億8千万円ぐらいやないか!もうわけわからんわー!!

返済資金を調達するために名称のみを変更するも失敗、株の空売りをするも失敗、完全に運までも見放していたわ。そして返済資金を集めることができなかった山崎晃嗣は返済前日の11月24日に本社の一室で青酸カリを飲み自殺。27歳のときだったの。

勉強ができて会社のスタートもよかったから自信過剰になってしまったパラ・・・。

遺書も残していたわ。

1,
御注意、検視前に死體(体)に手をふれぬこと。法の規定するところなれば、京橋警察署にただちに通知し、検視後、法に基き解剖すべし。死因は毒物。青酸カリ(と称し入手したるものなれど、渡したる者が本當(当)のことをいったかどうかは確かめられし)。死體はモルモットと共に焼却すべし。灰と骨は肥料として農家に賣(売)却すること(そこから生えた木が金のなる木か、金を吸う木なら結構)

2,
望みつつ心やすけし散る紅葉理知の生命のしるしありけり

3,

出資者諸兄へ、陰徳あれば陽報あり、隠匿なければ死亡あり。お疑いあればアブハチとらずの無謀かな。高利貸冷たいものと聞きしかど死体さわればナル……氷カシ(貸─自殺して仮死にあらざる証依而如件 よってくだんのごとし)。

4,
貸借法すべて清算カリ自殺。晃嗣。午後一一時四八分五五秒呑む、午後一一時四九分……

当時山崎がつけていた日記の最後には、次のように記されていました。

「私の合理主義からは、契約は完全履行を強制されていると解すべきだ。・・・・・・契約は人間と人間との間を拘束するもので、死人という物体には適用されぬ。私は事情変更の原則を適用するために死ぬ。私は物体にかえることによって理論的統一をまっとうする。」

戦争のときに歪んでしまった心・・・、そして持ち前の頭の良さ・・・、山崎晃嗣の人生を大きく狂わせてしまった。